今日のお言葉25

「常に選手に課題を与えては、自分で考え、積極的にトライさせる。先生は、決して答えを明かさない。あくまでも生徒がトライし、失敗し、試行錯誤を重ねながら正解を見つけるまで、先生は腕組みして待ち続ける……。これこそが、オシムのいう「自ら考えるサッカー」ではないか。

 一言で「選手の自主性」といっても、ただ自由を与えていればよいわけでは決してない。そこに「自ら考える」という能動性が伴わない限り、自由は野放図と同義となり、結局は選手を身勝手、怠慢、混沌へと追い込むばかりであろう。ゆえに、いくら前任者とオシムが「選手の自主性」という同じ目標を掲げているからといって、そこにチーム作りの連続性を見いだそうとするのは、いささか無理のある話であるように思える」

宇都宮徹壱サッカージャーナリスト 1966年~)